【仕組まれた親のエゴと洗脳】いじめを左右する紙オムツの快適さ

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なぜ、いじめられる?
なぜ、叫ばない    → 叫べない
なぜ、助けを求めない → 助けを求められない

結論から言うと昔の歌ではないが

「そんなワタシに誰がした?」
不快でも耐えられるワタシ?
不安でも耐えられるワタシ?
もしかしたら「強いられているワタシ?」

不快や不安であることを表現できない
助けや支援、を叫べない洗脳を受けたからにすぎない

ではいつ、誰が、その子に埋め込んだのか?

そんな疑問を持ったことは無いだろうか?
その原因が潜在意識に関係していたとしたら
信じるだろうか?

与えられた洗脳と支配

自分の行動、思考について自分で考えて動いている

と思っている???

 

暗い性格は「生まれつき」

運動音痴は顔族の「遺伝」

物覚えが悪いのは凡人家庭に生まれたから

などの都合のいい理由のわからない言葉で
自分を諦め処理していないか?

人は「遺伝」とか「体質」とか
説明のつかないわけのわからない言葉で
自分を卑下し努力や向上を変わることを拒否している。

 

大げさだが大げさでない事実をいうと
そういう言葉で処理していると

「今のままの自分でも良い」

ということを承認することになる。

承認するということは明日の自分を左右され
長いようで短い一生を左右されたまま
「今の自分」で終わってもいいことになる。

 

 

今朝起きてからの行動、食事、思考、気分、つまり一挙手一投足更には
一生の運命までそれらは自分自身で考えてしていることではなく

与えられた「洗脳」と飼育された「潜在意識」により
ある程度固定されてしまっている。

あなたの一生は洗脳により固定されてしまっている。

 

いや失礼、”そのことに氣付くまで”はということだ。

 

じゃ
その洗脳は誰がいつから洗脳したのか?

実は母親が受胎したときから始まっている。
子供は7歳ころまで洗脳しやすいθ波で生きている、
のでそれまでの環境で「洗脳」という「躾」をされる。

そこから話すと長いので生まれ落ちたときから説明しよう。

(上記の話はまた別の機会で)

 

本題の「いじめ」の問題に

戻るために洗脳の話はちょっと端折って・・・

赤ん坊は何故泣く?

初めての赤ちゃんで激しく泣き止まない限り
赤ちゃんがなぜ泣くのか?
を考えたことがある人はいないだろう。

しかし子育て経験のある人に聞いたり
自分の親や祖母などに訊ねると
大体の理由や泣き方による要求を教えてくれる。

赤ちゃんが泣くのはファンダメンタルな性質
不安・不快・甘え・要求などなど
泣き分けることも先天的に備わっている。

赤ちゃんが泣くのは自分の何らかの要求を伝えるため。

 

母親が見えなくなった(安全地域がなくなった)

お腹が空いたとき(不快)

小便大便をしたとき(不快)

眠い(不快)

痛い(不快)

暑い、寒い(不快)

などなど大半は

不快な思いをしているとき

つまり赤ん坊は不安や不快を感じているときに泣く

それを解消してほしいから「泣く」という手段に出る

 

安心させてほしい

不安や不快を取り除いてほしい

安全で安心できる場所にいさせてほしい

それを聞いて両親や養育者は泣き方でなんの要求か判断し

赤ん坊の不安不快を取り除き泣き止ませる

 

しかし赤ちゃんがが「泣く」と
親や「養護者」は手が掛かるし

あまりに泣き止まないと
「近所への迷惑」も氣にかかる。

 

なんとか泣き止まないものか?
泣かせない方法は無いか?

 

ここで疑問が出る

では不安や不快な思いを全くなかったとしたらどうだろう。

いや、それは物理的に無理にしろ

極力不安や不快な思いをさせないように親が氣を配ったら

 

赤ん坊はあまり泣かないはずだ。

 

至れり尽くせりで面倒を見れば

「不快や不安」を感じないのだから

 

すると”泣く必要がない”
不安、不快が少なくなれば

自分の要求を求めなくてもいいはず。

 

なんと幸せなことだろう。
要求が少ないので労力を使わなくてすむし
親や養護者は手がかからなくなる!?

 

んんん

本当だろうか?

反面こんなことも起こらないだろうか?

泣いてはいけないんだと植え付けることにも

赤ちゃんだからと言って

バカにしてはいけない

 

受胎時から両親の声(養育者)を理解し

ある程度の判断能力はあるのだ。

参照
胎児は知っている母親の心

 

泣くことはいけないことなんだ

泣いてはいけないんだ

確かに泣かないかもしれない

扱いやすいよね

 

でももし泣かなくなったら

もし要求を求める行為をしなくなったら

 

その行為自体
できなくならないだろうか?

叫べない

子どもが、「泣く」ことで表すのは
「わかってほしい」
「助けてほしい」
という言葉にならない
意思表示です。

何らかの理由で言葉にならないので
最終手段の泣くことで、
自分の思いを要求を表現している

これは子供時代だけでは無く

環境や洗脳が変わらなければ成長しても

泣くということには限らないが

「意思表現」

「援助希求(助け)」

「要望欲求」

などが言葉や態度で表せなくなる。

人が「泣く」という行為は、
「助けて」「受け容れて」「私に氣付いて」という
外界の人に向けての言葉にならない手段。

泣くことで、「氣付いて」もらい
「思いを受け容れて」もらって共有感、安心感を得て
人に対する信頼や安心を築いていく。

泣けるようになるためには「泣ける環境」があり
「泣く要因」があり「泣く練習」が必要であるということ。

それを奪われてしまったとしたら

 

紙オムツ

最初の頃の紙オムツは”不快感”
つまり濡れた感じ、群れた感覚
不快感を感じるものだった。

これでは頻繁に泣く。

一昔前の紙オムツは不快感を感じないものに進化した。

当然、赤ちゃんは泣かない。

だから養護者は時間が経つと
開けてみて汚れていたら取り替える。

オムツ、いや大小便、排泄行為の不快感が
軽減されてしまう。

これは生きていくうえで生きる術を一番吸収できる状態にある
赤ちゃんの機能を狂わせてしまう可能性がある。

欲求、不快、不安、痛み

自分はここにいるという力の行動

泣くこと=叫ぶこと

それができなくなる

「泣く」という行為を
学ぶべき大切な時期に
奪われてしまう

としたら・・・

人生の旅

人間は皆、生まれてくることは平等だ
しかし、環境や養護者、親は選べない。

もしかして人が生きていくということは
その親から受けたものが希望や可能性に満ちた
素晴らしい教えであればいいが
もしもネガティブと偏見に満ちたものだとすると
自分を知り、呪縛に氣付き解き放たれるために
旅するものだとしたら・・・

自分を注視し
自分を理想の道に
引き戻すことを

自分にしてあげないとならない

 

 

 

 

 


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